Gate12:ハンブルクのスシファクトリーでの出会い

面接当日、スシファクトリーという店の料理長と会い、
俺は、ドイツに着いてからの事をしゃべりはじめた。

 

鬼婆のこと、俺の残金等、いろんな話を必死になって話した。
すると、その料理長、日野原さんという人やねんけど、
その人が「 他はどうかしらんけど、うちは全然問題ないよ。」
そう言ってくれた。

 

その時、俺は、うれしさよりも
ヨッシャー、やったぜ、ってやっと言える時がきたって思った。
うれしさよりも、安堵感が先にきたわけである。

 

今まで、ほんまに散々やったから、
「やったぜ」って言える日がくるのを
まだか、まだか、と楽しみにここまで頑張ってきた。

 

鬼婆の口撃にも耐え、虫歯の攻撃にも耐えた。
すべては、この日のために、、、

 

その夜、俺は、旅行にでてはじめて日記を書いた。

 

それは、ドイツについて46日目のことだった。

 

この面接の時に、日野原さんから
「ワーホリは、金もってきてナンボやで」
って言われてんけど、この言葉がとても印象強く残っている。
別にワーホリに限ったわけちゃうけど、
ほんまにこの言葉は、しみじみと実感できる言葉やった。

 

仕事が決まり、帰国の心配がなくなった俺には、
もう一つ、しなければいけない事があった。

 

部屋さがし。

 

先に仕事をさがしたのは、
どこかの街で部屋を借りてしまうと、
仕事がみつからんかったときに移動できなくなるから。
俺の所持金の場合。

 

ただここは、ロンドン、パリ、等の大都市とは違い、
日本人の為の物件なんて無い。

 

そん時ドミトリーで同じ部屋やったドイツ人でさえ、
部屋探しに苦労しとったのに、どないせえゆうねん。

 

俺は、文句ばっかりいいながら、辞書ひいて新聞の物件見とった。

 

この時に、協力してくれたのが料理長であった。
日野原さんは、ホンマにいろいろと動いてくれた。
そして、必要な物は貸したるからなんも買う必要はないとも言ってくれた。

 

この場をかりて、日野原さんにお礼を言いたい。
ありがとうございました。

 

そして、俺のハンブルクでの生活が始まった。
仕事が見つかって、終わりじゃない。
ここからが本当の始まりや。
俺は、そう自分にいいきかせてた。

 

だが、仕事初日、俺がその店に出勤することはなかった。

 

俺の所持金、あと4万。