ドイツ旅行記

ヨーロッパ生活(ドイツ編)

ドイツ地図

 

まずはドイツから入国しパリ行きを狙うが、いきなりトラブル続出!
金が無くなる不安と○○の激痛に苦しむ恐怖。

 

所持金ユーロがみるみる減っていく不安、
26万円で、家を借りて仕事も探してドイツで生活ができるのか・・・

 

ヨーロッパ生活 ドイツ編 スタート↓↓

 

 


ドイツ一人旅 〜Asian Gate〜旅行記記事一覧

俺は、別に自分をたかめるためにここにきたわけではなく、自分と向きあうためでもなく、何者かになろうと思っていたわけでもない。少しでいいから、生活してみたかった。家借りて、仕事して、スーパーに買い物いって、電車にゆられて、チャリ乗ってブラブラして。ヨーロッパで日常してみたかった。それだけ。結局、旅行もすることになるねんけど。その中で感じたこと、本人に向かっていえなかった事も、本音でかいてます。旅行して...

2001年12月、俺は今まで漠然とした思いであったヨーロッパ行きを決めた。結局日本でたの、2002年8月。こんなに延びたのは、金がなかったから。正確にいうと、貯まらなかった。今思えば、貯める意志がなかっただけ。結局、日本でるとき、26万円。たったの26万。普通に使ってたからね。最低、半年帰らんときめてた。俺はパリにいくことにした。俺の好きなアーティストとパリが結びついていたから。そこで俺はいろいろ...

2年ぐらい続けたバイトを辞め、俺は出発準備をしはじめた。そして、忘れもしない7月20日、職場で俺はたくさんの人達に送別会をしてもらう。送別会といってもただの送別会ではない。何人来たと思う?50人やで!50人。正確には52人。お世話になった人や、後輩達がきてくれた。俺のために、、、その日は楽しかった。ドイツで履けるようにとくれた靴、多くの花束、みんなの声を録音したテープ、シャンパン、たくさんの手紙、...

トランジットの為バンコクで少し遊んだ俺は、いや俺達は、ついにドイツに降り立った。正直俺は、ドイツなど行きたくなかった。ドイツという国を想像してみたが暗いイメージしか浮かばない。しょうがなく、他の人にドイツのイメージを聞いてもでてくるものは、ビールとソーセージだけ。だれに聞いてもビールとソーセージ、、、ドイツってどんだけ特色ないねん。俺はひたすら文句ばかりゆっていた。そうゆうわけで、しかたなしに来た...

その後、審査官は後ろの並んでいる人達を他の列へと追いやり、俺を奥の部屋へと連れて行く。しかし、この時俺は、余裕があった。奥の部屋といっても個室やなく、国境警察の人間が集まる場所、職員室みたいなとこやったし、連れていかれた理由もわかっていた。俺のパスポートは、かなりボロボロやった。以前の旅行でかなり痛んでおり、写真の部分は表紙からはがれていた。その部分を接着剤で貼ったもんやから、所々に空気が入り、で...

別室に入るとそこは、パソコンが一台だけ、他は机、イスといった部屋だった。審査官はイスに座るなり再び質問攻めをしてくる。「所持金を出せ」と言われ、俺はポケットから千円札をだした。千円しか持ってなかってん。千円しかなかったからついでに、カード類もだしといた。すると審査官は「なんで千円しかないねん!」と言ってくる。なんでってゆわれても無いもんはないので、「金はカードに入ってる」と言って金ある事をアピール...

その通訳は、かなりどんくさい奴であった。通訳の人がくるまでの間、メッチャ暇やった。お互い一時休戦みたいな感じになり、フレンドリーに話かけてくる審査官。そこで俺は、その流れのまま「腹へった」てゆうた。すると、意外な事に、しばらくして審査官がサンドイッチを持ってきた。いやぁー、なかなかドイツはええもんやなぁーそう思っていると驚くべき光景がそのサンドイッチ全部一人で食べよった。「ちょっと食べる?」とか、...

そもそも、このアジアンゲートを作るきっかけになったのが、パリで出会った人達やねん。それでまず、紙に書いてみてからウェブ上で作ってみようと思い、書きはじめてんけど、日本でてから日記とか1回しか書いてへんから、全部記憶をたどって書いていくしかなかってんわ。インパクトの強いとこしか憶えてないから、細かいとこが、わからへん。だから多少のズレはあるかもしれんけど、全部事実やで。脚色もほとんどしてない。これは...

あの頃、俺は大学寮にいた。ザールブリュッケンというフランス国境沿いの小さな街の大学寮に。部屋には何も無く、机とベットがおいてあるだけ。電気をつけても薄暗く、電気を消しても薄暗い。そんな狭くて陰湿な部屋に、2人で住んでいた。俺達は金も無く、部屋も無く、コネも無い。そして、一切の情報がなかった。俺は先入観をなくすため、一切の情報をいれなかった。所持金は25万。このままいくと、1、2ヶ月後には、日本であ...

俺は、列車の中で奇妙な光景にでくわした。行き先は当然デュッセルドルフ。ザールからは7〜8時間といったところか、ふと顔をあげると、目の前に座っている人が目に涙をうかべていた。今にも泣きだしそうな勢いである。なぜだろう?なにか、悲しいことでもあったのだろうか?俺は、おもいきって涙のわけを聞いてみた。「なに泣きそうなってんの?」「べつに泣いてないですよ。」俺の後輩やった。俺達にはザールで特に仲良くしてい...

フランクフルトマインツコブレンツボンと北上し、別行動をし始めた俺は、ケルンで仕事探しをはじめる。はっきりゆってメチャクチャやった。とにかくがむしゃらに、うごいた。直接お店にいって、Ich suche ein job aus.とかなんとか予め調べておいたドイツ語を駆使してお願いする。「今仕事さがしてんねんけど」、ってゆう意味ね。ドイツ人がやってるレストランやバーでこうゆうことやっててんけど結果がつい...

メッセで働くことになった俺。メッセとは、簡単にいえば世界的な見本市の事である。もっといえば、新製品の世界規模の展示会みたいなかんじ。ドイツはメッセが盛んで、各地で、毎月メッセがおこなわれている。期間は1週間。時給5ユーロ。いい条件ではなかった。が、なんせ短期でもいいから早く働いてみたかったのと、うまくいけば、正規で雇ってもらえるチャンスがあったから。そう、つまり正規で雇ってはもらえなかった。ビザも...

ケルンから北上しはじめたが、だんだん寒くなってくる。ちょっと上にいくだけでかわるもんやなぁ。バリ寒い。ほんで、ハノーファーで途中下車。数件まわって、もうええわ。そんなかんじで、3日で街をでた。そして、いよいよドイツ最大の港町ハンブルクへ向かう。駅についた途端俺は、この街の雰囲気が気に入った。なんとなく。そして、仕事をさがしている途中、恐れていたことが現実となる。歯痛である。歯痛とは、つまり歯が痛く...

面接当日、スシファクトリーという店の料理長と会い、俺は、ドイツに着いてからの事をしゃべりはじめた。鬼婆のこと、俺の残金等、いろんな話を必死になって話した。すると、その料理長、日野原さんという人やねんけど、その人が「 他はどうかしらんけど、うちは全然問題ないよ。」そう言ってくれた。その時、俺は、うれしさよりもヨッシャー、やったぜ、ってやっと言える時がきたって思った。うれしさよりも、安堵感が先にきたわ...

ドイツの歯医者の設備はすごい。ようわからんけど、日本でみたことのない機具がめっちゃある。しかも、部屋は全部個室になっている。部屋は比較的大きくスペースが、とられておりそこに、ポツンと1つあのベットがおかれているだけである。日本と違い、広々としてリラックスできる空間になっていた。てゆうても、なにゆうてるかわからん歯医者の説明を聞かされたら、リラックスできんけどな。いきなり医者に「ビッグプロブレム、ビ...

ヨーロッパ特有のまずい炭酸水にも慣れてきた頃、俺は、少し休みをもらっていた。ほんで、デュッセルドルフにおる後輩に連絡をとり久々に会うことにした。俺は、ザールを発つ時、絶対またここに戻ってくるぞ、という固い決意があった。その気持ちは、あいつも同じやったと思う。季節は冬。どうやら、冬といえばスノーボードらしい。そんなスノボ馬鹿に連れられて俺は、アルプスの山2800mの地点まで来ていた。もちろん嫌々や。...

アニキとは、1年ぶりの再会であった。彼との出会いは、6年前にさかのぼる。当時、高校を卒業したばかりの俺が働いていた「シャ○バラ」というクラブというよりは、ディスコっぽい店で出会ったことをきっかけに仲良くなっていった人である。彼の名は、中山迅さん 30歳。迅さんも海外が好きで、よく外にでて行く人である。特に若い頃は、中国に3年いた後、東南アジアをうろうろしていたらしいのだが、カンボジアで筑紫哲也とコ...

戦場から逃げ出した迅達は、近くの村にまでたどり着いていた。

安宿で一晩過ごした迅達は、CNNに向かっていた。戦場での生映像を売り込むために。しかし、途中、思いもよらない人物に出会う。筑紫哲也さんであった。彼も、緊迫した状況であるカンボジアにきていたのだ。そのころ、老人はいなくなった2人に気付き、必死に後を追っていた。老人は、逃げられたことにより頭に血がのぼり、正常な判断ができない状態であった。迅達が昨夜泊まっていた宿を突き止め、向かった先を探していると、彼...

なぜ世界がポルポトの虐殺に関与しなかったのか。それには大まかに2つの理由がある。1つはポルポトが徹底した鎖国政策をとり、人の移動や情報を封鎖したこと。もう1つは真実に信憑性が欠けていたこと。実際に何とかこの虐殺を報道するまでに至ったこともあったが、自国民の1/3を虐殺するなどあり得ないと判断された。それは国家にとって何の利益ももたらさない。だから誰も信じなかったというわけだ。しかし虐殺疑惑の波紋は...

戦車から大砲が発射されるシーン、銃声が飛び交う最前線の状況が映されてある貴重なビデオテープの使い途は、老人も同じはずだ。老人はこのような形で、今までも収入を得ていたに違いない。そんなことを考えていた迅が、ふと窓の外に目をやるとホテルに走り込んでくる老人の姿が見えた。日テレの事務所の中にいた迅達は、すばやくその場を離れた。ユウは、非常階段を使い猛スピードで裏口へ向かった。しかし、迅はホテルの正面ロビ...

カンボジアに行ったきっかけ、それこそ目的はなかった。バンコクやプーケットでダラダラするのに飽きた私は、北京に居た頃憧れていた同級生の女の子の地元ハノイに向かおうと、カオサンロードの旅行会社を訪ねた。サイゴンからダラダラ北上しよう…。そう思いカウンターの女の子に伝えた。面白い提案が返ってきた。「プノンペンに寄っていっても出費は変わらないわよ。」「じゃ、それ下さい!」マックのポテトのように気軽に付けた...

そんな迅さんとドイツで年を越した俺は、日本から一緒に来た後輩が帰国するというので最後にもう一度会うことにした。彼の名は、鈴木将人 21歳。久しぶりに会った彼は、以前とは見違えるほど考え方や顔つきが変わっていた。もちろんいい方に。あの鈴木がここまで変わるんや。人ってしばらく見んあいだに変わるもんやな。そんな驚きが強かった。そして、俺も半年のビザが切れるため、今後どうするか、決断しなければいけない時期...